小説家になったからってお前

マライヤ・ムーと藤原無雨のブログ

新たに小説を書けない

うつ病を治して小説家になろう

このブログのタイトルですが、これは別にあの『小説家になろう』というサイトを意識してつけたわけではありません。
第一、このブログを書き始めたときには、あのサイトでエンタメを書いているとは夢にも思わなかったわけで――。


俺がアホほど美少女な件 ~お嬢様たちのくちびる奪います~
https://ncode.syosetu.com/n2832ex/


「世の中の仕組みを解き明かしてやる」とか「世界の見え方を変えてやる」とか、そういう野心は中学生くらいの頃から抱いていました。

その目的を果たすためには、自分の持っているカードとしては「純文学」を選択せざるを得ないわけです。
彫刻、立体芸術というのも選択肢のひとつですが、今からその技術を修得する根気も時間も無いように思います。

しかし、ここでエンタメです。
小説家になろう』でラノベを書くということ。
これが結構おもしろい。

人生の目的から逃げているようにも思える行為ですが、本当に面白いのです。
毎日のPV数、お気に入りの数に一喜一憂できる。
ときおり、感想をもらえたり。

純文学に向き合うのは孤独な作業です。
だからこそ、琥珀のように輝くのですが。
私の生きてきた過程の集大成を描くことでもあり、
誰も踏んだことのない新境地を開拓するという誇らかな気持ち。

保坂和志先生が「小説とは星空を見上げるようなものだ」というようなことを(うろ覚えですが)仰っていました。
未知の世界に向き合うことは、このように胸躍ることなのです。

対して、ラノベはやはり読者にとって美味しいファストフードでなければなりません。
起承転結、友情、努力、勝利、お色気――等々。
そこそこ厳格に決められたフォーマットがあり、それを自分のやり方でなぞっていく。
こういった意味では、ラノベは非常に不自由なメディアです。

しかし、PV、お気に入り、感想。
そういった蜜が私をラノベへと引き寄せていく。

更に問題なのは、今現在特に書きたいものが無いということです。
純文学にせよ、ラノベにせよ。
今は何に対しても殆ど興味を抱けない状態なのです。
これがもっとも重大な問題です。

ロッコを動かすのと同じで(経験のおありの方は少ないでしょうが、イメージは湧くと思います)小説は、出発するその瞬間にもっともエネルギーを必要とします。
純文学は即興演奏にかなり近い形態をしていますが、それでも使う楽器は持ち寄らねばいけませんし、モードも決めなければなりません。
ラノベに至っては、綿密なキャラ設定、プロットも必要になります。

これらを形成する動機は、何物かに対する憧れです。
今まで触れてきた何か。今触れている何か。見たことのない何か。
そういうものに恋い焦がれる気持ちです。

今、それがまったく欠如している。

体調が良い日にアニメを見ても面白くない。
映画なんてみる気すら起こらない。
小説を見ても、ふうんとしか思えない。
詩集に目を通しても、ただ文字が過ぎっていくだけ――。

要するに、うつ病の典型的な症状であるわけですが。
そのせいで、今書けるのはブログくらい、といった状況に陥っています。

ここは暗い洞窟です。
トンネルならば、出口があります。
しかし洞窟には必ず出口があるとは限らないわけです。

ブログを書くのがうつ病に良いという話

タイトル通り。

ブログを書くのがうつ病に良いという話を聞いた。

 

今日は晴天。

比較的前向きに物事が考えられるし、おそらく小説のことも考えられる気がする。

気がする――というのは、その暗い渦の中に入って行くのが少し怖いからだ。

 

ラノベにしろ、純文学にしろ、何か書くべきなのか。

もしかすると、何も書かない方がうつの寛解により近づくのかもしれない。

 

うつ病ブログと小説の違いは、自分について書くのか、世界について書くのかということ。

世界というのは、純文学とラノベで大きく意味が違ってくるけれど、

言葉としての違いはない。世界を形作るためには大きなエネルギーが必要になる。

それがうつ病に良いのかどうか、大きな疑問を感じている。

 

自分について書くのは簡単だ。

放っておいても言葉が出てくる。

体裁や起承転結を気にすれば、またエネルギーを消費するのだろうけれど、

私はそんなことは気にせず書いている。

 

何にも興味を持てない現在、果たして新たに小説を書いて良いものか。

本当に、何にも興味が持てないのだ。

見たことがある古いアニメを観てお茶を濁すようなことはあるけれど、

触れたことが無いものに接するエネルギーがない。

 

しかし、今日は晴天だから。

小説について考えても、うつ病には影響ないのかもしれない。

『戦争と平和』についての悩み

最近はラノベばっかり書いてるマライヤです。

今日は読書について。

トルストイの『戦争と平和』を読んでいるのですが、

あまりにも登場人物が多いので、リストアップしながら読んでいました。

全4巻の、まだ2巻の最初なのですが、こんな具合です。

 

 

 

アンナ・パーヴロヴナ・シェーレル……女官。エレンの伯母。
アンナ・パーヴロヴナの伯母……名前なし。
ワシーリイ・セルゲーヴィチ・クラーギン公爵……顕官。マモントワ三姉妹の従兄。
アリーヌ・クラーギナ公爵夫人……太って堂々とした婦人。
エレーナ・ワシーリエヴナ・クラーギナ(エレン)……ワシーリイ公爵の娘。アンナ・パーヴロヴナの姪。
イッポリト・ワシーリエヴィチ・クラーギン公爵……ワシーリイ公爵の息子。
アナトーリ・ワシーリエヴィチ・クラーギン……ワシーリイ公爵の息子。放蕩家。
キリール・ウラージーミロヴィチ・ペズウーホフ伯爵……多くの庶子をもつ富豪。
ピョートル・キリーロヴィチ・ペズウーホフ(ピエール)……ベズウーホフ伯爵の庶子。議論好きの太った若い青年。
ドーロホフ・キリーロヴィチ・ベズウーホフ……ベズウーホフ伯爵の息子。聡明だが野蛮な士官。アナトーリと同居。
スチーヴンス……イギリスの海軍士官。アナトーリの遊び仲間。
モルテマール子爵……弁舌家。
ニコライ・アンドレーエヴィチ・ボルコンスキイ公爵……陸軍大将。<プロイセン王>と仇名された。
アンドレイ・ニコラエヴィチ・ボルコンスキイ公爵……ニコライ・アンドレーエヴィチの息子。軍人。
リザヴェータ・カルローヴナ・ボルコンスカヤ公爵夫人(リーザ)……アンドレイの妻。
マリア・ニコラエヴナ・ボルコンスカヤ……ニコライ・アンドレーエヴィチの娘。ジュリィの友達。
マドモアゼル・ブリエンヌ……マリアの相手役のフランス娘。
チホン……ボルコンスキイ家の侍従。
アルパートゥイチ……ボルコンスキイ家の支配人。
ペトルーシカ……ボルコンスキイ家の侍従。
マーシャ……ボルコンスキイ家の小間使い。
カーチャ……ボルコンスキイ家の小間使い。
ミハイル・イワーノヴィチ……ボルコンスキイ家の建築技師。
モリオ僧正……弁舌家。
アンナ・ミハイロヴナ・ドルベツカーヤ公爵夫人……息子を案ずる未亡人。ロストワ伯爵夫人の親友。
ボリス・ドルベツコーイ……アンナ・ミハイロヴナの息子。近衛士官。金髪の長身の青年。ニコライの親友で、ナターシャの恋人。
イリヤアンドレーエヴィチ・ロストフ伯爵……アンナ・ミハイロヴナの寄宿先の主。
ナタリイ・シンシナ・ロストワ伯爵夫人……45、6の婦人。アンナ・ミハイロヴナの親友。
ニコライ・イリイチ・ロストフ……ロストフ伯爵の長男。学生。髪の縮れた中背の青年。ボリスの親友で、ソーニャの恋人。
ペトルーシャ・イリイチ・ロストフ(ペーチャ)……ロストフ伯爵の末子。
ヴェーラ・イリイシーニナ・ロストワ……ロストフ伯爵の長女。
ナターリヤ・イリイニーシナ・ロストワ(ナターシャ)……ロストフ伯爵の次女。ボリスの恋人。
ミハイロ……ロストフ家の老僕。
プロコーフィイ……ロストフ家の従僕。
ソーニャ……ロストフ伯爵の姪。子猫じみた娘。ニコライの恋人。
ドミートリ・ワシーリエヴィチ(ミーテンカ)……貴族出のロストフ家の執事。
マーリヤ・リヴォーヴナ・コルチャーギナ……大柄な太った婦人。
ジュリィ・カラーギナ……カラーギナ夫人の娘。マリアの友達。
マーリヤ・ドミートリエヴナ・アフローシモワ……<ドラゴン>と仇名される鋭い頭脳を持った貴婦人。
ピョートル・ニコラーエヴィチ・シンシン……ロストフ伯爵夫人の従弟。
アルフォンス・カルルイチ・ベルグ中尉……ヴェーラの恋人。
騎兵大佐……ニコライを連れて連隊を追う
ローラン医師……ペズウーホフ伯爵づきの医師。フランス人。
カテリーナ・セミョーノヴナ・マモントワ(カチーシ)……ワシーリイ公爵の若い従妹。三人姉妹の長女。
ソフィ・セミョーノヴナ・マモントワ……三人姉妹の末妹。
ドミートリイ・オヌーフリイチ……ペズウーホフ伯爵づきの弁護士。
ミハイル・イラリオーノヴィチ・クトゥーゾフ将軍……総司令官。
ネスウィツキイ……長身肥躯の佐官。
チモーヒン大尉……酒好きの赤鼻の男。
プロホル・イグナーチェヴィチ……連隊長。
ジェルコフ軽騎兵少尉……ドーロホフの悪友。
コズロフスキイ……小柄な副官。
ワシカ・デニーソフ大尉……パヴログラード軽騎兵連隊の中隊長。赤い顔をした小男。ニコライの上官。
ボンダレンコ……伝令兵。
ラヴルーシカ……デニーソフの小狸。
テリャーニン中尉……嫌われ者の連隊長。
ブイコフ……ねずみと仇名される佐官。
キルステン二等大尉……決闘沙汰で二度も降格され、二度とも精勤して士官に復帰した男。
ミローノフ……士官候補生。臆病。
カルル・ボグダーヌイチ・シューベルト……連隊長。
ビリービン……優秀な外交官。アンドレイの旧知。
フランツ……ビリービンの侍従。
ワイローテル将軍……シュミット将軍の後釜。
バグラチオン公爵……第二軍の将軍。
スヴォーロフ将軍……イタリア大公。
ヴィンツェンゲローデ将軍……幕僚の侍従長
トゥーシン二等大尉……痩せた小さな砲兵士官。
シドロフ……フランス語の好きな兵士。
ニキーチェンコ……騎兵のひとり。
ペトロフ……トゥーシンの部隊の砲兵。
ドルゴルーコフ公爵……侍従武官長。
シュワルツェンベルク公……オーストリアの元帥。最高軍事会議副議長。
アダム・チャルトリージスキイ公爵……外務大臣
サヴァリィ……フランス士官。
トルストイ伯爵……皇帝の侍従長
ブックスホウデン将軍……ブロンドの長身。
ミロラドヴィチ将軍……ぴんと立てた口ひげ。
ランジェロン伯爵……南フランス人の将軍。
プルジェブイシェフスキイ将軍……特記なし。
ドーフトゥロフ将軍……小柄な男。
チート……クトゥーゾフの老料理人。
チャルトリージスキイ……フランツ皇帝の随員。
ノヴォシリツェフ……フランツ皇帝の随員。
ヴォルコンスキイ公爵……フランツ皇帝の随員。
ストロガノフ……フランツ皇帝の随員。
イリヤ・イワーヌイチ……皇帝の御者。
スーフテレン中尉……捕虜。
レープニン公爵……フランス軍の指揮官、近衛師団長。
ラリイ……ナポレオンの侍医。
フェオクチスト……イギリス・クラブのコック長。
マクシムカ……庭師。

 

 

 

もう、いいかな、と思い始めました。

読むのがしんどいのです。

けれども、リストアップせずにこの脳みそが、登場人物を覚えていられるとも思えない。

リストがあって助かった場面も多く、この先どう読んでいったらいいのか迷っています。

楽しい日が終わり

とても楽しい日が終わり、それでも私はうつ病なわけで、

ひとりになってみたら、まったく力が湧かず、

PCの前でぼうっとしています。

 

ご飯も、何を食べればいいのかよく分からない。

運動について

スポーツクラブに入会したのですが、なかなか習慣化しません。

行けば泳ぎます。水泳はうつに良いとか。

 

先生の話によると、重力に逆らう筋肉を使うとセロトニンが分泌されるそうです。

スクワットが良いのでしょうか?

 

少しやってみます。30回。もう少しできるかな。

うつ病の回復期

久し振りに「退屈」という感覚を覚えました。

調べてみると、退屈はうつ病寛解の兆しだそうです。

 

しかしながら、何をする気にもなれないのが危ういところで、

小説執筆はおろか、読書やアニメ鑑賞もなかなかうまく出来ずにいます。

漫画ならスラスラ読めるのですが、経済的に次々と買うわけにはいきません。

 

外を歩く気にもなかなかなれません。

なので、動物園の熊のように部屋をうろうろと歩いています。

 

これはこれで苦しいのですが、泣きながら首を吊ろうとしている状態よりは、

ずっと良くなったと言えるでしょう。

 

おそらく、あと2歩、3歩というところで、私は社会に戻ることができます。

どうかそのとき、小説を書きながら生活が出来ますように。

備忘録

 

6月14

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

歴史の中に(他のすべての人と同じように)俺という人物がいたとして、後年その人生を俯瞰する人がいても「ふぅん」としか思わないのではないだろうか。そう考えると、とても救われた気持ちになる。

posted at 01:53:48 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

今まで生まれた1000億人の中のひとりの生き方に、果たしてそこまで拘泥する必要があるのか。運命の許す範囲の中で、好きに生きればいいんじゃないだろうか。

posted at 01:56:12 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

俺のこういった考えは、きっとホルモンバランスとかセロトニンの分泌量とかが導き出したポジティブシンキングに違いない。それでも今、そう考えたことには価値がある。

posted at 01:58:48 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

無から来て、無に帰るまでの短い時間に、頭が割れるほどの苦悩が詰まっている。しかしやはり、一生は短い時間だ。永遠に苦しむわけじゃないし、少なくとも今の俺は、その短い時間を人を悲しませてまで短縮しようとは思わない。

posted at 02:04:26 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

しかし痛み苦しみを伝えてくるのは、自分の頭蓋骨であり、みぞおちであり、全身なんだよな。それが問題だ。他人を見るのと同じ比重で自分自身を眺めることはとても難しい。

posted at 02:10:31 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

頓服を飲んでたっぷり寝たことで、今はとても冷静にいろんなことを考えられる。おかげで昼夜逆転してしまったが。せっかくだから、生きる苦痛を和らげること、もっと言えば苦痛などどうでもよくなるような思考について考えてみよう。

posted at 02:13:39 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

自分が1000億人の中のひとりだと考えるのは、宇宙について考えるような落ち着きを与えてくれる。この考えが、今朝のような抑うつ状態の自分に、どれほどの効果を与えるのかはわからない。

posted at 02:19:59 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

豊かな認知が、神経にどれだけの影響を与え得るのか。ひょっとすると、今考えていることは、抑うつ状態に入ってしまえば何の役にも立たないのかもしれない。私はただ機嫌が良くて、こんなことを呟いているのかもしれない。

posted at 02:21:40 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

抑うつ状態に入ったとき、俺はただ、神様、イエス様、と考えたりするのだけれど、大した効果はない。もっともこの事実はキリスト教の教えを否定するものではない。では、認知によって抑うつ状態から這い上がるのは不可能なのだろうか。

posted at 02:24:12 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

たとえば恋愛映画で涙を流すとき、感動とストーリーを分割して考えることができるだろうか。生きる苦痛と認知を分割するということは、おそらくこういう芸当に近いものがある。

posted at 02:31:33 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

恋愛映画で感動した後に、脚本の出来について考えていると、感動はフッと冷めてしまう。それに対して生きる苦痛、絶望や抑うつ状態は、皮膚的な痛みととてもよく似ていて、何かスイッチを入れれば解放されるということがない。

posted at 02:33:35 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

保育園児の頃、転んで膝を擦りむいたときのことを考える。私は膝に対して祈っていた。「怪我をしたことは分かった。血が流れているのも分かってる。だからこの痛みを止めて!」生きる苦痛とは、つまりこのようなことだ。

posted at 02:36:11 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

神経が思考に及ぼす作用と、思考が神経に及ぼす作用が、どれほどのものなのか私には分からない。抑うつ状態に陥ったときに「わたしは1000億人の中のひとりだ。奴隷であり、王であり、漁民であり、農民であったうちのひとりなのだ」こう考えることで、どこまで神経的な苦痛が和らぐのかは分からない。

posted at 02:41:05 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

思い出の中でさえも
死んでしまった女たちの声のような
雨がふっている

おお、雨のしずくよ
僕の一生の楽しいめぐりあわせよ
君らもふっている

馬のように暴れまわる
あの雨雲が
響きの市々の別天地をいななきだす

posted at 02:48:45 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

後悔とあざけりが
昔の音楽を泣いているひまに
雨がふるのを聞くがよい

上から下から
おまえを支える絆の糸が
落ちてくるのを聞くがよい

(アポリネール『カリグラム』より「雨」)

posted at 02:50:10 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

アポリネールはこの詩で出会いについて書いている。出会ったひとりひとりを雨に例えている。「君らもふっている」の「君ら」は、おそらく詩の鑑賞者であって「君」と呼びかけているのはアポリネール自身だろう。

posted at 02:55:07 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

そのアポリネールが、友人との出会いをたとえて「上から下からおまえを支える絆の糸」と書いている。リア充この上ない詩なのだけれど、この詩は今まで生まれてきた1000億の人間を考えるのと同じくらい、私たちの心を癒してくれる。

posted at 02:58:09 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

何も私は「出会ったことのない人間との絆」なんてことに言及したいわけではないし、そういうものは双方向的なものだから、ないと言っても良いと思う。同じような考えを持つ人がいれば、それはそれとして繋がりと呼べるのだろうけれど、本題はそれではない。

posted at 02:59:44 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

私が言いたいのは「雨」のもつ風景的な奥行きだ。「上から下からおまえを支える絆の糸」は身内や友人を思わせて感動的だけれど、アポリネールは風景を遠く霞ませる無限の雨を敢えて無視している。

posted at 03:03:25 削除

   

6月14日

@Mariah_Bastet

マライヤ@Mariah_Bastet

敢えて無視するということは、示唆しているということだ。無縁の人々が降っている。1000億人の雨粒が降っている。この事実がどれほど大きな意味を持つことだろう。

posted at 03:04:31 削除