小説家になったからってお前

マライヤ・ムーと藤原無雨のブログ

小説のインターバルについて

一篇小説を書き終えて、大小説をひとつ読んだ。
なら次も書けるだろうと新しいものを書き始めたのだけれど、その小説にはどうも新しい問いが入り込む余地がないような気がするのだ。
 
小説を書くためには問いが必要なはずだ。
問いをため込むには時間が必要である。
しかし時間は神経を鈍磨させる危険性を持っている。
怠惰な生活者になろうとする傾向を私は持っているから、するとこれは危険な賭けだ。
危険を減らすために、たとえば考える時間を1週間とか、区切ってみていけば良いのだろうか。
そうして、記録する。
感じた問いは記録すること。
別に具体的でなくても良い。
ひょっとすると具体的でない方が良いのかもしれない。
 
 
フェルナンド・ペソアの『不穏の書』から以下を引用する。
 
「私がどんな感覚も記録しなくなってからずいぶん長い時――数日なのか数ヵ月なのかはわからない――がたった。もはや私は考えない、ゆえに、私は存在しない。私は自分が誰なのかを忘れてしまった。もはや存在することもできないのだから、書くこともできない。斜めに進む微睡みによって、私は他者だった。想い出さないことを知ること。それが目覚めだ」
 
ペソアのインターバルはすさまじい。
私はインターバルに、人と会わなくてはならない。