小説:羊飼いのワゴン
Amazon Kindleで、100円小説を販売することにしました。
ワゴンの荷台にヒトを載せて配達するという、架空の仕事をつらつらと書いた短編小説です。
わりと揺らいだ文体で書かれていますが、ゆったりと読んでやって下さい。
こちらからサンプルが見られます。
羊飼いのワゴン(サンプル) | マライヤ #pixiv https://t.co/2hj1vL7s25
— マライヤ (@Mariah_Bastet) 2019年1月9日
小説を販売するという経験はこれが初めてです。
100円で小説を買う、という行動が皆さんにどのような変化を与えるのでしょうか。
楽しみでなりません。
そしてEPUBの件ですが。
……どーうしても無理でした。
やはり広告なしでブログに縦書き小説を表示させるには、有料のレンタルサーバを借りるほかないようです。
でも上記のように、Pixivでできちゃうし……。
ということで、今回はお流れということになりました。
いろいろと教えてくれた友人に感謝を。
BiB/iでEPUBをブログに埋め込もうとして諦めた話。
どうしてもBiB/iでEPUBが埋め込めないマライヤです。
何故かこんな感じに。
↓
現在Amazon kindleで販売中の小説のサンプルです。
100円でサクッと読める短編なので、よろしければどうぞ。
しかしBiB/i……なぜうまくいかんのでしょう……。
文体試行3
何をやっても楽しい!
晴天がこれだけの力を与えてくれたのは本当に久し振りで、
もう目に入る何もかもが非常に興味深くまた面白い。
『うちのメイドがうざすぎる!』
『ジョジョの奇妙な冒険第5部』
『色づく世界の明日から』
『とある魔術の禁書目録Ⅲ』
もう全部面白い。
どうしよう、どうしよう。
だって本当に、何もかもが面白いんだ。
散歩も気持ち良かった。
逆光の雑木林は、真っ暗なシルエットの中で、3割ほどの葉が真っ白に輝いて、
それはもう美しく、私は踏みつぶされたドングリの中から、きれいなのをひとつ拾い上げて、休耕地に放り投げる。
小説のプロットもひとつ組み上げた。
あと4つは作って好きなのを選ぶつもり。
こんな日が続かないのはわかっているけれど。
それにしても、ああ、それにしてもなんて気持ちの良い日だ!
ラッパーの先輩から来たスタートアップ
解釈と 表現は自由やけど… 自画像。 脚色なし。 このやりとりが プロローグ。 自画像と返信されて ブログですな。と 返信した。からが 書き出し。 俺のこの返信も 今後の 返信もこのまんま 原稿。 ギャラは50:50。 これが はじまり。 さぁ やってみよう。
こういうことで始まった。
何を書こうか分からないと、ツイートした返信が「自画像」のひとこと。
ブログですな、と書いたらスタートアップが送られてきた。
自画像、脚色なし。
私は見栄っ張りだ。
物書きぶって見せているけれど、本当はどこまで知っているのか疑わしいところだ。
事実私自身も疑っていて、けれども人との対話の中で「何か」が顔を出すことがある。
誇らしいお化けのような何か。
これが小説に化けるのではないかと信じている。
何か書いていないと気が済まないのは、どうやら本当らしい。
これだけは、どうやら本当。自信がある。
精神障害者保健福祉手帳が2級になった。
曇りの日は死んでしまうほど憂鬱で動けない。
それが社会にラベルを用意させた。
ありがたいことでもあり、恐ろしいことでもある。
コメディが好きだ。
本来の私はお調子者だ。
エロくて笑えるものが好きだから。
そういうものを捻り出している。
どこまでも奥深い深淵が好きだ。
どこまでも遠い星々が好きだ。
本来の私は真面目なのだ。
思考の果てに辿りつく極北に憧れるから
そういうものを捻り出している
人と会うのが好きだ
人は怖くない。
しかし人との繋がりを求めることが怖い
そもそも私は人間に対して絶望している
絶望しているのに私にとって良い人間が
家族は別として少なくとも7人存在している
距離の遠近は問わず
これが本当に不思議なところだ
少し興味を惹かれることがあれば
その間だけ安心していられる
古い小説とか、ちょっとした短い動画とか
床の冷たさとか、ぼうっとしているという事実だとか
それがどうにも耐えられなくなったとき
それが俺に病名をつけている
ジョナサンで食事するのが好きだ
数少ない社会との接点
おばちゃんウェイトレスさんの接客は見事で
とても真似できないと絶望させられる
何かして働かなければいけないけれど
ドクターストップ
焦るな、病気を舐めるなと釘を刺される
ならば小説を書いていたいが
やはり題材というものが必要なのだ
自己表現は気楽だ
しかしエンターテイメントも純文学も自己表現ではない
ここがポイントで
つまりは自己に深く深く潜ってしまう私の性質が
ここではマイナスに働いてしまうことがある
外へ外へと意識を向けようと
元気があるときはアニメを観てみたり
あるいは散歩したりする
青い蜜柑、熟し過ぎた柘榴、南天(あの赤い実は本当に南天か?)、柿。
近所には雑木林があって
クモの巣にビクつきながらも歩くのが好きだ
自然主義はバカげているらしい。
しかし風景は重要だ
あらゆるもののプロセスが風景だから
これは純文学の話
ラノベでは読者が勝手に風景を想像してくれるらしい
それって寂しくない?
抗うつ剤は太る
その上、運動不足で
運動する気力が無いのだから
これはどうしようもない
それがうつ病というものだから
純文学もラノベも今は自己表現ではない
かつてそういう時代もあった
太宰治のひとこと「銅貨のふくしゅうだ」
こういう言葉が許された時代があった
過去現在未来で気軽に表現を語ることはできないけれど
少なくとも意識は外に向けていなくてはならない
そういう詩を10代のときに書いた
そういう傾向はおそらく今も変わっていないだろう
今日は高いカレーを食べた
チーズナンというのを初めて食べた
美味しいがこれはカロリーの塊だ
やってしまったと思った